ファミプロファクトリーの運営者・加藤のプロフィール

このページでは、当サイト
ファミプロファクトリーの
運営者である「かとこう」こと、

加藤のプロフィールについて
紹介しております。

ども!かとこうです。

僕のプロフィールページを
見て頂きありがとうございます!

20歳くらいから今までに、
僕がやってきた仕事や趣味などの
経歴とプログラミングを始めた
きっかけなどについてまとめております。

「かとこう」こと、加藤のプロフィール

僕は、かとこうというニックネームで
活動していますが、本名は加藤と申します。

2021年現在30代で埼玉県に住んでおり
不動産業者で働きながら、当サイト
ファミプロファクトリーの運営と
管理を行っております。

元パソコン教室のインストラクターで
MOSや宅建士の資格を持っている
MOS宅建士プログラマー」です。

何故、不動産業者で働いている
僕がプログラミングでの
ゲーム制作を始めたのか?

UnityとC#でのゲーム制作を通して
プログラミングを学ぶための
ネット教室を運営しているのか?

今までの経歴を語りながら、
プロフィールをお伝えして
いきたいと思います。

20歳くらいから今までの経歴や趣味など

20代前半・中盤・後半にわけて、
僕の経歴や行ってきた趣味などについて
まとめてみました。

20代前半の僕はマックで働いていた。

20代前半の頃、僕は近所の
マクドナルドで働いていました。

専門学校を中退してしまい、
フリーターとしてアルバイトを
していたんですね。

時給が良かったので、夜に店を閉める
クローズという役割で入り、
洗い物をしたりしていました。

最初の頃はなかなか時間内に終わらず
先輩に手伝ってもらうことも
しばしばありましたが、

仕事に慣れてきて少しずつクルーと
してのランクが上がっていきました。

その後、フリーターと言う時間に
自由がある扱いやすい身分だったからか、

アルバイトの中では一番偉かった

スウィングマネージャー

という役職になりました。

スウィングマネージャーになると
店を閉める役割から、

店を開けるオープンという役割に
変更となり、朝早くから働いていましたね。

オープンの作業も結構大変で、
シェイクのマシンを洗ったり、

外にあったお子様たちが遊ぶ
アスレチックの掃除をするのに
苦戦した記憶があります。

他にもクレームの対応やピーク時の
半端ない忙しさなどマックでの仕事は
大変なことが多かったですが、

遊びに行ったりする友達ができたりと
楽しいこともたくさんありました。

スウィングマネージャーとして
マクドナルドで数年働いていましたが、
その頃に出会ったものがあります。

それは、「銀粘土」という趣味です。

銀粘土でシルバーアクセサリーの制作をしていた。

マクドナルドで働いていた20代前半の
頃に出会ったのが、

銀粘土

という趣味でした。

銀粘土は焼くと銀になるという粘土で
シルバーアクセサリーを自宅で手軽に
作ることが出来るんです。

昔から工作や物作りが好きだった
僕はかなりハマりました!

やっていくうちに、

もっと上手に作れるようになりたい!

と思うようになり、

アートクレイシルバーという
銀粘土での制作技術を学べる
教室へ通っていました。

ただ通うだけでなく、せっかくなら
と思って、

アートクレイシルバーインストラクター

として活動するための資格も取得。

銀粘土技能認定証という資格です。

取得資格はこちらで公開しています。

銀粘土でのシルバーアクセサリーの
制作はかなり楽しくて、

当時は展示会などに参加して
作品を販売したりもしていました。

また、銀粘土という趣味の楽しさを
伝えるためのWebサイトも作りました。

現在は銀粘土でのシルバーアクセサリー
制作は行なっておらず、Webサイトも
更新を停止しています。

ですが、サイト自体は残っております。

過去に僕が作った作品を公開して
いますので、興味がある方は
良かったら見てみて下さい。

アートクレイシルバーK-K:カトサン工房

20代中盤の僕はパソコン教室で働いていた。

20代中盤の頃の僕は、

パソコン教室でインストラクター

として働いていました。

元々パソコンを触ることが好きで、
人に教えたりサポートをしたりする
ことも好きだったので選んだ仕事です。

パソコン教室のインストラクターと
して働く前に、

マイクロソフトのオフィスソフト
WordとExcelのスペシャリストの
資格を取りました。

取得資格はこちらのページで公開しています。

パソコン教室での仕事はとても
やりがいがあり、

先輩のインストラクターさんたちも
とてもいい人ばかりで本当に楽しかったです!

生徒さんが成長する姿を見ることが
とても嬉しく、やりたいことが一人で
出来るようにとサポートをしていました。

しかし残念ながら、1年~1年半くらい
働いたころ教室が閉校することになってしまい、

パソコン教室インストラクターの
職を離れることになります。

一時アフィリエイトに挑戦していた。

パソコン教室を辞めるころ、

アフィリエイトに挑戦

をしていました。

お腹が弱いマンの僕は、

「パソコンを使って自宅でお金を稼ぐことができる」

という魅力にひかれ、
アフィリエイトで稼ぎたいと
思うようになったんですね。

そして、一見怪しいと思われるような
とある有料のノウハウを購入して、
作業をしていました。

その結果、なんと月に10万円ほどの
売り上げを上げることができるように
なったんです!

パソコン教室が閉校になった後は、
この売り上げを伸ばしていって
アフィリエイトの収入で生活が
できないかと挑戦を続けていきます。

しかし、自分に対する甘さや自制心の
無さから作業が思うように続かず、

売り上げの上がっていた広告主の
撤退などもあり、どんどんと
売り上げは下がっていきました。

そして、結局アフィリエイトに挫折。

当時、「誰でも楽に稼げる」などと
言われていたアフィリエイトですが、
僕は作業を続けることができませんでした。

やる作業は簡単なのかもしれないけど
決して楽ではなかったです。

「楽に」という言葉を鵜呑みに
してしまった、

僕の認識の甘さ

が挫折に繋がる大きな原因だったのかもしれません。

宅建の資格受験に挑戦することになった。

アフィリエイトに挫折した僕は
短期のアルバイトをしたり、
実家の仕事を手伝っていました。

そんな僕に親戚の叔父さんから

仕事を手伝わないか?

というオファーがやってきます。

叔父さんは長年一人で不動産業を
営んでおり、

書類作りなどのパソコン作業ができる
人材として、当時ぷらぷらしていた僕に
声をかけて頂いたという感じでした。

そして、働く前の勉強も兼ねて宅建の
資格取得を目指すことになります。

宅建の勉強に選んだ手段は、
通信教育でした。

通信教育で毎日勉強を重ね、
カリキュラムを終了させてからは
過去問を解く日々。

今まで学校の勉強や受験勉強など
しっかりとしたことがなかったので、
当時の人生で一番勉強をしたと思う
期間だったと思います。

とにかく1発で合格することを目標に
勉強を重ねること半年くらい。

試験の日がやってきます。

当日、試験のプレッシャーからか
お腹を壊してコンディションは
良くなかったですが、

「絶対に受かる!」

という気持ちでメラメラと心は燃えてました。

そんな気持ちで挑んだ試験が
終わった後は、やり切った感に
溢れていましたね。

そして、試験の結果発表の日が
来たときはドキドキものでしたが、

勉強を毎日継続して頑張った甲斐も
あって合格することができました!

この時は努力が報われたと思って、
とにかく嬉しかったです。

その後、講習などを経たのち、

宅地建物取引主任者(現在は宅地建物取引士)

の資格を取得することができました。

取得資格はこちらのページで公開しています。

20代後半の僕は不動産業者で働き始めた。

無事宅建を取得した後は、親戚の
不動産業者で働き始めることになりました。

不動産業に携わることなんて考えた事も
無かったので、未知の事ばかりでしたが、

最初の3年くらいはとにかく色々と
学んで頑張ろうと思って仕事をしていました。

責任の重い仕事なので、
とにかく真面目に業務を
こなしていました。

しかし、数年仕事を続けていくうちに
気づいたことがあったんですね。

それは、

僕は不動産業に向いてない

ということです。

それに気づいてからは、正直仕事に
対してのモチベーションは低下して
しまいましたが、

それでも頑張って真面目に仕事を
続けていきました。

ですが、責任の重い仕事なだけに

こんな中途半端な気持ちで仕事を続けて行っていいのか?

など、深く悩むことも多かったです。

でも、僕が仕事を辞めることになったら
確実に社長は困ることになるだろうと
思ったし、恩も感じていたので、
辞めるという決断はできず。

また、なんとなくやりたいことを
考え始めたものの、

具体的に何をして生きていきたいのか?

ということも決まっていなかったので、
悩みながらも仕事を続けていきました。

30代になった僕は身体と心が限界を迎えた。

毎日悩みながら仕事を続けていくと、
当然ながらメンタルが不安定になります。

夜眠れなくなったり、仕事に行くのが
だんだん辛くなってきたりしたんですね。

寝不足のまま仕事に行ったり、
辛いと感じながら仕事へ行くことで
溜まるストレス。

かなりしんどい毎日が続いていましたが、
なんとかぎりぎりで保っていました。

しかし、コロナが流行してしまった
2020年ついに身体が限界を迎えます。

まずは肩こりや首こりなどがひどくなり
背中の痛みなどを常に感じるようになりました。

接骨院に毎日通う日々でしたが、
良くなったと思ったらまた痛みが
再発してきつい毎日。

首・肩・背中が痛いな〜と思いながら
仕事をしていたので、

精神的なストレスだけでなく、
身体的なストレスも溜まって
しまったんだと思います。

そこから、自立神経がおかしく
なってしまったのか様々な症状で
悩まされることになります。

頭痛や身体のだるさ、胸が重い感じ、
気持ち悪さや吐き気などが
常にあるような感じの症状で、

不定愁訴

と呼ばれるような体調不良で
悩むことになってしまいました。

頭痛から始まったので頭のMRIを
撮ってみたり、

気持ち悪さがひどくなって
胃の検査をしたり、

胸のレントゲンを撮ったり、

急に激しい動悸が起きたことが
あったので心電図を撮ったり、

2つの病院で血液検査をしたりなど、

様々な検査をするも異常なし。

むしろ血液検査では優秀だと
言われるくらいだったので、

完全にストレスによる症状だと
思いましたね。

こんな状態でしたので、フルタイムで
働くことが難しくなり、

2020年の後半からは出来る範囲で
不動産業を手伝うようになりました。

そして2021年現在の僕。

2021年現在も不動産業は出来る範囲で
手伝っており、主にパソコンの業務を
行っています。

社長である叔父さんに許可を頂き、
自由な時間で働かせて頂けているのが
とてもありがたいです。

そして、ゲーム開発インストラクターと
しての勉強や活動をしており、

このWebサイトに記事を書いたり
YouTubeで動画を公開したり、

ゲーム開発とプログラミングの勉強
などを日々行っているという感じです。

体調については今は落ち着いては
いるものの、

連日長時間の作業をすると肩や首に
痛みが出てきてしまうことがあるので
無理せず行っています。

また、今は自分が目指すべき事が
明らかになっているので、

その目標に向かって日々向かって
いくことが楽しいです。

体調を崩してフルタイムで働くことが
難しくなってから、

今まで感じていた以上に周りの人達の
おかげで自分が生きていられるという
ことを強く感じるようになりました。

その感謝を忘れずにいつか恩返しが
できるよう、

体調に気を付けて適度に運動なども
しつつ毎日目標に向かって精一杯
頑張っていきたいと思います。

僕がゲーム開発とプログラミングの勉強を始めたきっかけ。

体調を本格的に崩す前、不動産業を
続けていくことに対して不安を持ち始めたころ、

自分が本当にしたいことは何だろう?

ということをよく考えていました。

様々な本を読んだりして、
ノートに思う事や自分の好きな事を
思い出しながら書いたりして、
自分の内面を探っていました。

僕が特に参考になったと思っているのは

天職がわかる心理学

という本です。

自分の内面を探る日々の中、
これだなぁと思い浮かんだのが
ゲームとものづくりでした。

僕は昔からゲームと共に育ってきたと
思うくらい、ゲームが大好きですし、

昔から工作とか技術の時間が好きで、
ものづくりをすることも好きなんです。

そして2つを見て組み合わせたら

ゲームづくり

というワードが出てきました。

その時、

あ、ゲームが作りたいな

と心から思いました。

思えば、小学生くらいのころノートに
書いてボードゲームみたいな
自作ゲームを作ってたなぁとか、

スーパーファミコンとかプレステの
RPGツクールでゲームを作っていた
ことがあったんですよね。

さらに、パソコンを扱うことも好きだし
丁度プログラミングに興味を持っていた
こともあって、

ゲームを作るためのプログラミングを勉強してみようかな~

と考え始めました。

とはいえ、プログラミングについては
素人なのでゲームの作り方なんて
わからないし、

なんのプログラミング言語を学べば
いいのかもわからない状態です。

そんなときに出会ったのがUnityでした。

最初にUnityを知ったのは、
YoTuberの瀬戸弘司さんの動画です。

Unityの教科書という本で
ゲームアプリを作ってみた

というような動画を紹介しており、

え!こんな簡単にゲームのアプリ作れちゃうの!?

と、驚いたと同時に感動しました

すぐにUnityの教科書を購入し、
ここからゲーム制作の勉強を始めて
行く事となりました。

UnityとC#の独学に挫折してしまう

僕はなんとなく自信があったので、
最初は独学でUnityとC#について
学んでいこうと考えます。

そのためにUnity関連の本を
たくさん買いました。

2ヶ月くらいかけて本を2、3冊ほど
勉強してなんとなくUnityとC#という
プログラミング言語について
わかってきた感じはありましたが、

結局僕はゲームプログラミングの
独学を挫折します。

挫折した理由は、

この勉強方法でいいのか?

本で勉強しているだけでスキルが上がるのか?

自分が作りたいゲームを作れるようになるのか?

もっといい勉強方法があるのではないか?

など、様々な悩みが出てきてしまったからです。

点数ではかれる試験などの勉強なら、
模試などを行うことで自分の目指す
ところに近づいているかが明確にわかります。

ですが、プログラミングやゲームを
作るということに対しては、

点数ではかれるわけでもないので、
ちゃんとスキルになっているのか
自信が持てなかったんですよね。

そこから悩みはじめ、半年くらい
UnityとC#の勉強を休んでしまいます。

改めて勉強を開始したのは、
体調を崩してフルタイムで働けなく
なってしまった2020年の6月頃からです。

やっぱりゲームが作りたい。
プログラミングが学びたい。
と強く思いました。

本を見ながら軽く勉強を再開。

しかし、

やっぱりこのままの勉強法でいいのか?

という悩みは出てきます。

そんな頃2021年の7月に出会ったのが、
スタジオしまづさんの

ゲーム開発インストラクター養成所

でした。

ゲーム開発をしたい人をサポートするインストラクターを目指す

スタジオしまづさんについては、
以前独学をしていた時にYouTubeで
いくつか動画を観たことがありました。

勉強を再開した時に、久しぶりに
YouTubeを覗いてみたところ、

ゲーム開発インストラクター養成所

という講座がスタートしたという
情報を見たんですね。

それを見たとき、

これだ!

と思いました。

僕は銀粘土をやっていた時も
そうでしたが、

せっかく習うなら人に教えられるくらいの実力をつけたい!

と考えるところがあります。

というのも、自分の得意なスキルや
知っている情報を人に教えたり、
サポートをすることが好きだからです。

そういえば、と思い出したことがありました。

パソコン教室で働いてた時は本当に
楽しくてやりがいがあったなぁと。

嶋津さんのようにUnityでの
ゲーム開発を教えたりして
人の役に立つことで、

生計を立てられるようになれたら
いいなぁと思いました。

僕は、自分が将来なりたい姿や
やりたいことをすでに達成している
人の元で学ぶのが最短の道だと考えて、
スタジオしまづへ入会することを決めます。

とはいえ申し込む時、最初はさすがに
迷いや不安がありました。

その迷いや不安を嶋津さんに
メールをして、その返信を受けて
入会を決めました。

そこから嶋津さんの元で勉強を始めて、
気が付けば1年以上経ちました。

嶋津さんから様々な事を教えて
頂きましたし、

他の会員さんと仲良くなったり
することもできて、楽しく
過ごせてきたと思います。

そんなスタジオしまづへ入会して
1年で出来たことはこちらの記事で
まとめています。

スタジオしまづに入会して1年で僕が出来たこと

ファミプロファクトリーの運営を本格的に始める

最初はカトサンラボと名付けた
このWebサイトですが、

実は2019年に独学を始めた頃に
立ち上げていました。

しかし、独学に挫折をしてから
半年くらい放置をしてしまっていたんです。

また、スタジオしまづに入った後も
Unityとプログラミングの勉強に
力を入れていたので、

記事の更新をほとんどしていませんでした。

当サイトの更新を再開したのは、
嶋津さんの教材作りを手伝うことに
なってからです。

そこから記事を書きはじめると、
書いた記事に対してのアクセスが増えました。

そして、Unityでゲームを作りたい人
たちのお役に立てているように感じたんです。

1年間UnityとC#でゲームを作りながら
プログラミングを学んできたことで、
少しでも人に貢献できる自分に
なることができたんだと思えました。

そう思えた時は、とても嬉しかったですね。

スタジオしまづに入会して1年目は
プログラミング素人だったので、
学びに使う時間が多くなっていました。

2年目となった2021年からは、
アウトプットに力を入れて行く事で、

本格的にUnityでのゲーム開発を
サポートするインストラクターとして
ブログ更新やYouTube動画のUPなど
といった活動を開始しています。

そしてこのWebサイトを
更新していくうちに、

そうか、僕は自分のパソコン教室をやりたかったのかもしれない。

そう気づきました。

自分が好きな、ゲーム。

自分が好きな、ものづくり。

自分が好きな、パソコン。

自分が好きな、人のサポート。

自分が興味のあった、プログラミング。

この全てを合わせた仕事をしていきたい。

そう思い、僕は進む道を決めました。

そして新しいコンセプトを立ち上げたと
共にサイト名を、

【ファミプロファクトリー】

と変更致しました。

まずはこのWebサイトでネット教室を
始めていって、人の役に立っていこう。

そして将来的に自分のパソコン教室を
持てたらいいなぁというのが

今の1つの夢であり、目標でもあります。

ファミプロファクトリー運営者・加藤のプロフィールまとめ

気が付けば、なんとまぁ長い文章に
なってしまいました。

居るか分からない一部の
かとこうファンを除き、

こんな長い文章を読むのは大変だと
思うので、簡単にプロフィールの
まとめを書いておきます。

プロフィールのまとめ

20代前半:マクドナルドでスウィングマネージャーとして働いていた

20代前半:銀粘土でのシルバーアクセサリー作りにハマり、インストラクター資格を取得

20代中盤:パソコン教室でインストラクターとして働いていた

20代中盤:アフィリエイトに挑戦し、少しは稼げていたものの挫折した

20代後半:宅建資格の受験をすることになって合格した

20代後半:親戚の不動産業者で宅建士として働きはじめた

30代前半:仕事について悩み始める

2019年:悩んで自分と向き合う日々の中、ゲームを作りたいと心から思った

2019年後半:UnityとC#の勉強を独学で始めるも挫折する

2020年前半:心と身体が限界を迎えて身体の不調に悩まされ始める

2020年6月:やっぱりゲームが作りたいと思って勉強を再開

2020年7月:スタジオしまづの「ゲーム開発インストラクター養成所」へ入会

2021年7月:スタジオしまづ2年目。自分の目標を決意する

2021年10月現在:不動産業のパソコン仕事を出来る範囲で続けながら、自分の目標に向かって歩いている

プロフィールについての記事は
以上となります。

ここまで読んでいただき本当に
ありがとうございました!

今後とも運営者かとこう及び
ファミプロファクトリーを
よろしくお願い致します。

2021年10月2日